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近畿地方整備局、司馬遼太郎に学ぶ「国土」への愛着

国土交通Day記念講演(要旨)、山野博史・関西大学教授 作家・司馬遼太郎さんが亡くなって今年で10年目を迎えた。近畿地方整備局は2日、関 西大学法学部の山野博史教授を迎え、「司馬遼太郎に学ぶ『国土』への愛着」と題した 2006国土交通Day記念講演会を大阪合同庁舎第一号館第一別館大会議室で開いた。国 土交通Dayは、国民に社会資本整備への理解と協力を求めることを目的として、毎年 7月16日に国土交通省設置法が公布された1999年の同日にちなんで実施しているもの。 山野教授は親交が深かった司馬さんとの交友関係や小説を通して、司馬さんの人柄、自 然や国土のありようなど、ユーモアあふれる巧みな話術で、会場を訪れた約250人の司 馬ファンを魅了した。講演要旨は次のとおり。 【写真:山野教授】
私が初めて司馬さんを知ったのは、小学生の時。貸本屋で借りた「ペルシャの幻術師」(1956年5月に第8回 講談倶楽部賞受賞)でした。司馬さんの出世作であり、その時、「おもろいことを書くおっさんがいてるもん やな」と思ったものです。本屋で買っていまでも大切に持っています。司馬さんの作品を読みだして50年にな ります。司馬さんとのお付き合いは晩年の15年間ほど。たわいないことばかりを話し合う楽しいお付き合いを させていただきました。 司馬さんは、若い頃、短編の読み切り連載を雑誌や新聞によく書いておられました。「豊臣家の人々」(1967 年)などは1回完結となっていますが、一つにまとめてみると微妙に地下水で繋がっているという仕掛けにな っています。そのリズム、呼吸がきちんと後の長編小説へ受け継がれていったものと思います。「竜馬がゆ く」(1963から66年)も新聞の連載でした。新聞の活字が大きくなって、連載記事が70字減った時のことで す。司馬さんは「半年ぐらい慣れるまで苦労した」と話されていました。70字減っただけでも、精魂込めて小 説を書いておられたと思います。 阪神大震災が発生した時の話です。「大阪はおもろいとこや。土地はコンニャクや豆腐のようなもの。上町台 地だけがしっかりしている。官公庁のほとんどがそこに建っている。全国にある古墳の場所も地震に強い。古 人(いにしえびと)の知識は、大したものだ」と。そんな話でも、司馬さんの言葉だからこそ重みがありまし た。 司馬さんは、家で小説ばかりを書くタイプではなかった。72歳で亡くなられましたが、作家活動は36年間。人 生の半分で、小説、紀行、随筆など、あれだけの多くの作品を残されました。「自然や人間の生活のありよう を先入観でみない、裸の目でみる、理屈でものを考えない」という考え方でした。紀行文「街道をゆく」で は、それが見事に表現されています。また、非常に土地勘が鋭かった。その有名なエピソードとして、「関ヶ 原」(1966年)を書く前に関ヶ原を実際見て、東西の陣営はこうであった、また、朝鮮半島に旅をした時に秀 吉の陣構えはこうであった、と話されました。それがいずれもそのとおりであったこと。 そして、小説を書く前には必ず予行演習をし、地ならしをされていました。捨てネタが全くなかった。 「街 道をゆく」に同行したある記者の話です。 「司馬さんと同じように自然や街を見て、食事をして、その土地の人に会って帰ってくるのに、司馬さんは私 と全然違った印象を原稿に書かれていた」。司馬さんは「予行演習の思いこみが、一瞬にして現地で崩れる。 その瞬間が最高にエキサイティングでもあり、また、難しいところ」といったことも書いています。司馬さん は、本当に根から人が好きで、土地や自然のありようをよく考えていました。「街道をゆく」は1971年から 1,147回連載されました。講演のタイトルは私がつけたもので、「街道をゆく」は、まさに司馬さんの「国 土」への愛着だったと思います。 高度経済成長に陰りが見え始めた昭和40年代後半から50年代。司馬さんは国と自然のとの関り、土地問題など のありようについて心配されることが多くなりました。「大阪の街は、樹木が少ない。もっと街にたくさん木 を植えること」「会社は東京に本店を持つのではなく、大阪に良い社屋をつくること」「古くさいものを残す ことにあまりエネルギーを注がないほうがいい。固定観念にとらわれず、創る意識を大事にしたほうがいい」 とよくおっしゃっていましたね。「本当は、司馬さんは大阪が好きではなかったのでは…」と言う人がいます が、司馬さんから聞いた忘れもしない言葉をここで紹介しておきます。「私は大阪のことを控えめに語ってい るのだけれど、実は大阪が好きで好きでしょうがない」と。 司馬さんにとって「国土」とは、郷土、ランドやカントリーでした。「緑と文明」をテーマにしたシンポジウ ムでは「国土は農村地帯にある」と具体例を挙げて説明されました。また、千里・万博公園で開催された「都 市と緑の文化戦略」の国際グリーンフォーラムの記念講演では、「樹木は考えて植えなければいけない。大地 を変えるような切り方をしてはいけない。日本の歴史の中で、このような思想が根付き始めた」と語っていま す。いま、建築家の安藤忠雄さんたちが桜を植える運動をされていますが、司馬さんの「美しい国土」といっ た思想が受け継がれているのかも知れません。 山野博史(やまの・ひろし)======================================================================= 1971年京都大学法学部卒、同大学院法学研究科修士課程、博士課程修了。94年から現職。専攻は日本政治史、 書誌学。三宅雪嶺、柳田國男、司馬遼太郎の人と作品の研究に努力。主な著書に「発掘 司馬遼太郎」(文藝 春秋)、「司馬遼太郎の跫音(あしおと)」(共著 中央文庫)など多数。
2006年08月10日
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